2011年4月22日金曜日

道が開けるとき 予感がする door open in front of me

通勤の途中には橋があってわたしはその橋の上から見える景色が大好き。
駅から歩いて会社に行く途中にあるその橋を渡りたくて、会社から最寄の駅よりもひとつ手前の駅で降りている。
その橋からは、白鷺がいたり、鴨が泳いでいたり。透き通った川の水をすかして、鴨が水中で泳いでいる足の動きも、見ることができる。小高い橋を上りきったところから、300度ぐらいぐるっと見回すと、山々が連なっていて、毎回私は都会の中であっても自分は自然の一部にすぎないんだって思える瞬間が好き。

ある気持ちのよい3月の朝、私はその橋の上からおっきな虹を見た。
その虹を見たとき、私ははっと気が付いた。虹の色にチャクラの色を見た。
虹の配色が、身体の中のチャクラの色とまったく同様の色の層をしていることに気が付いた。
肛門から頭長にかけての色合いと、赤→橙→黄色→緑→青→藍→紫→空へ溶け込む虹の光。
私達の身体の中のエネルギーセンターは自然現象の虹とまったくおんなじだ!!
ああ、私は自然そのものだ、っていう感覚。そして何か新しいことが開けていくように思える不思議な高揚感。

その日の午後、夫婦ともども異動の話を聞き、衝撃を受ける。
そして、この異動の話から2ヶ月以内の間に、私達は葛藤し悩んだ末、13年間共に励んだ会社を辞めることを考え、猛烈な1ヶ月の間に藤は新たな職場を得ることになり、私は退職を選んだ。

常々、一日8時間座っている仕事は私には性にあわないかもと思っていた。

『仕事を楽しくするものは、人生は極楽である。
仕事が苦痛な人は、人生地獄である。』

そういう格言がある。
やりたいことは、一日パソコンに向かうことではないように思っていた。
でもヨガの世界で生計を立てるには、まだまだだと思っていた。ティーチャートレーニングを卒業した仲間達が、つぎつぎ先生への道を歩みだしている姿をずっとうらやましく思っていた。
その道を踏みとどまらせいていたのは、私的には十分なお給料をいただいているということ。
自分を活かせていない、情熱を奮立たせることができない仕事かも知れないけれど安定的な収入は捨てがく、ヨガの世界に片足を踏み出してはまたその足を戻すの繰り返しだった。

弱い自分からは決して、踏み出せない世界へ背中を押されている気がした。
虹を見たときのあらたな道が開ける感じ。扉が開く予感はこのことだったと思う。

6月から岡山へ行く。
まだ何をするとも決めていないけれど、まっさらから始まっていく。
機会は与えられたのだと思う。
何度か訪れては臆病な子供だったわたしは捉え損なっていた。
誰かが背中を押してくれたら、とても強い力で背中を押してくれたらいいのに!っと思ったこともあった。
こんな形でもう一度機会は巡ってくるとは思わなかった。

踏み出していく。
ぬくぬくした繭の中から、私達は飛び出していく。
世界は広く、まぶしい。

一緒に働いてきたわかりあえてた仲間達と別れるのはさびしい。
同じ意識で同じ方向をもう向けないのは悲しい。
藤とおんなじ会社であんなこともこんなことも共有できなくなるのは、こころよりさびしい。


3月のある朝、あらたなわくわくする道がひらくよと虹が告げていた。
私は信じる。

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