結婚する前ぐらいからわたしはじんましんに悩んでる。
熱くても、寒くても、風がふいても、ものがすれてもミミズバレのようなじんましんがでる。
西洋医学(皮膚科)のお薬やら、漢方中心のお薬やら試していて、ここ半年以上はお気に入りの京都の六角通りの「六角田中医院」に通っている。
西洋医学から東洋医学に切替たのは、献血をするときにじんましんそのものは献血は大丈夫だけど、お薬によっては献血できない。と断られたこと。しかもお薬を飲むのをやめてから1ヶ月間は献血はだめである。
それを聞いて、ぞっとした。それから、自宅からはちょっと遠いけれど、以前通っていた六角田中医院に再び戻ってきた。
六角田中はちょっと変わっている。常識?的な考え方からするとである。
部分は全体を現す。部分を見れば全体がわかる。というところから、舌診や手のひらの様子を診られる。時には易学やら手相やら、なにやら病院ではおよそ出てこないもので、患者を言い当てる。
お薬の決め方も、「私の身体」に聞く。「私の身体」は私自身で、私という意識のある私と一緒のようで違っている。私の身体は、自分が必要とするものがわかっている。先生はあれこれとお薬を試していく。よい悪いの判断は、私の身体がしているのだけど、当の私にはぜんぜんわかっていない。お薬の名前も成分もどんな効能がありかもわかっていない。だけど、きちんと私はわかっている。調子の悪いのは私の身体であるから身体が必要なものがわかっているのは当然のような気にもなる。身体は思考でも理性でも判断しない。ただお薬を感じ取っている。不思議である。
じんましんは、水と身体の熱のせいという。わたしはピッタ体質なのでドーシャが乱れるとじんましんがでやすくなる。これはアーユルヴェーダを勉強しだしてわかったこと。
先生は、他にもなにか葛藤がある。といわれた。わたしは私の身体が年中じんましんをだすほど、なにを葛藤しているのか、わからなかった。でも確かにじんましんは私自身の声として何かを過剰に主張していた。ピッタを抑える食事を意識し、肉食を控えた。
それが!!!
じんましんが出なくなった(今のところ)
でたとしてもほんのちょっとですんでいる。びっくりである。
漢方も日曜日から飲んでいない。六角田中に忙しくていけなかったのである。
思い当たる原因は、会社を辞めると決めたこと。
辞めて、一からやりたいことに向かってみようと思ったこと。
今まで会社で積み上げてきたことが、私の足かせとなり前に進めないでいた。
それが、会社を辞めると決めたとたん、身体が軽くなった。
こころが軽くなった。
私の身体である私自身と私の意識が一致した。
利害の対立がなくなったというか。無理強いをすることがなくなったというか。
こんなに素直に身体が反応してくるとは思わなかった。
不思議である。
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